所蔵文化財ギャラリー

所蔵文化財『貨幣』 一覧(抜粋)

谷家所蔵の貨幣は、大判、五両判、小判、二分金、一分金、二朱金、一分銀、一朱銀、丁銀などで、江戸時代に発行された基本的な額種は揃っている。

大判には現存品が少ない桃山時代の天正大判、江戸時代中期の元禄大判と幕末の万延大判の三種がある。天保五両判は五両判金としては、天保8年(1838年)から14年(1844年)まで鋳造された唯一のものである。

小判は慶長、宝永、享保、元文、文政、天保、万延であり、元禄、正徳、安政を除く江戸時代に鋳造された小判の大部分が揃っている。しかも文政小判が127枚、天保小判が112枚と多量である。

また、二分金は文政、安政、万延と幕末時代に鋳造された三種の全て、一分金は元禄、宝永、正徳、元文、文政、天保などであり、慶長、享保、安政を除く各時代のものが認められる。二朱金も同様に元禄を除く、天保、万延がある。

江戸時代の銀貨では明和五匁銀、南鐐二朱金銀、南鐐一朱銀、安政一分銀、嘉永一朱銀、それに丁銀、豆板銀などが含まれている。丁銀や豆板銀は主に大阪を中心とする関西で通用した。さらに江戸時代を通じて、最も流通した寛永通宝銅銭も大量に所蔵されている。

そのほか明治時代では、明治維新政府によって新たに鋳造された最高額貨幣である二十円金貨をはじめ、一円銀貨、五十銭銀貨、二十銭銀貨、一銭銅貨があるが、一円銀貨が29枚もあり、これも江戸時代と同様、明治期に於ける谷家の商業活動の隆盛を物語っている。

西郷札は、明治10年、西南戦争の際、薩摩軍によって発行された軍票的な紙幣であり、薩摩軍の勢力が及んだ地域になかば強制通用のかたちをとって使用された。この点延岡の谷家に伝わったものとして注目される。

谷家所蔵の貨幣類は、これまで殆ど知られていなかったものであるが、延岡の繁栄の様子を伝える説得力ある資料であり、貨幣資料としても、他に類例を見ない程の質、量を誇っている。

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